●いよいよ50歳!いや、やっと50歳!なんでもいいけど50歳!
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先日、自分より先に50歳を迎えた二人の友人の誕生日に出かけた。努力はしなくても達成できるのは年齢。とはいえ50歳を迎えるにあたり、考える事は多い。なにせ半世紀なのだ!
同時期だが対極的なバースデーだった。一人は"イトウシンペイ"だ。浅草の日本最古の遊園地である"花やしき"を貸しきってのサプライズ・パーティーは、常識をブチ破る型破りなパーティーだった。仕切ったのはシンペイの分身、右腕、生き写し、手下ナンバーワン、フロント・・・とにかく若い(いや、もと若いっていう年ではないかぁ!)リーダーの高木ナオ&ロミとその仲間。動員数600人でサプライズだから、本人には気が付かれないように進行するというのは並大抵の事ではないと察するが、本人への事前、情報リークを避けるのは簡単だったらしい。なにせシンペイは究極のアナログ人間で、今だに携帯のメールも出来なければ、パソコンも無いので気が付きようも無いのだ。・・・・・・・夕方の時間までに600人は"花やしき"に静かに入り時間を待った。シンペイはゲストということで側近から騙されて連れてこられ、フラフラっと会場の正面入り口に連れ込まれ、そこからは600人の祝福する花道を歩いた。本人の顔といえば"鳩にマメ鉄砲"(びっくり仰天の代表的な表現!)で放心状態になっていた。そして皆からプレゼントでもらったのはシンペイ仕様に改造されたハーレーダビッドソンだった。 ヤンチャなオトナが、仲間にヤンチャに演出された素晴らしいパーティーだった。 そして対極は"ワタナベマサト"の誕生日だ。これまた強烈にカッコいいパーティーになった。場所は新宿のパークハイアット。いわずと知れた、東京ホテル戦争の覇者というと激しいが、世界中のホテルがその成功例として研究に訪れる模範的カッコいいホテルの代名詞だ。(最近はリッツとペニンシュラの出現で多少は勢力図は変わったが、今なおトップを走るのは事実。) そしてそこの一番大きなバンケットルームを使って、総勢300人(これが限界の人数だったらしい。)の盛大なパーティーだった。そんなお洒落でアットホームなパーティーは25/50(アムウェイはじめて25周年、人間はじめて50年)というタイトルで構成されていて、入場時はピアノ演奏がパーティーの格を上げる。ビンゴもジャンケンゲームも無い"おとな"の演出。高層階からの夜景は何よりもの演出になっていた。当然に料理は美味しいし高級な演出。 終始、上品で気品あふれる立食形式のパーティーは昔からの知人とも沢山会えて楽しい時間だった。美人妻のエミちゃんのフラダンスも超魅力的!隣で踊る愛娘・すみれチャンも可愛かった。クロージングのスピーチなんて、そのまま市長選に出ても当選しちゃうであろう、ジェントルでクリーンなイメージだった。
波田は今年、50歳を迎えるにあたって、色々と考えた。 今まで楽しく、充実した人生を過ごせた事へのお礼というか、いままでお知り合いになった方々、お世話になった方々、これからもお付き合いしていただける方々と、記念になるような素敵な時間を過ごしたくパーティーを企画していただく事になった。 渡辺正人氏&藤田直之の英知を振り絞った素敵な企画になります。 場所は新宿の"小笠原伯爵邸"(建物は1927年に出来た東京でも屈指のスペイン建築の洋館。料理の基本はスペイン料理。なんと先日発表のミシュランでは堂々の二つ星の栄誉!)で来る6月21日(土曜日)の夕方から夜にかけて立食形式にて行います。洋館も魅力ですが庭園も相当に素敵です。 ・・・・・・・・お付き合いのある方々には1月末までに簡単なインフォメーションをお送りしますので日程の調整をしていただけたら幸いです。 もし、インフォメーションが届かなかった方でも、波田とお付き合いのあった方ならば歓迎ですので、ご一報いただければインフォメーションをお送りします。 (古い洋館なので人数的にも限られていますのでヨロシクご理解下さい。) ということで静かに進行しています。 きっといい時間になりますよ! ハロートークもジャンケンゲームもないけど・・・・・・・
小笠原伯爵艇 http://www.ogasawaratei.com/
波田 啓次郎 keijiro-hada@pv-bv.com
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11月15日 以前にも書いた事があるが、沖縄に少々大きめな買い物をした。その物件の現物を見たら一切の迷いは飛んだ。 まさに脳天逆落とし(これ大昔のプロレスワザです。)をくらう衝撃だった。 物価的には沖縄は本土と比較して、やはり安く、その中でもその物件は波田の目には充分すぎるくらい安かった。・・・・・買わない理由なんて無かった。当初はグループのオフィスとしての目的と、月に一度、沖縄に行くときの宿泊場所にどうかとか探していた米軍ハウスだったが・・・・・・こんな素敵な場所にカフェでもやったら本当に素晴らしい店になるであろうことは想像が出来た。

そして、この物件を興奮しながら探してくれて、紹介してくれた岩渕夫妻がカフェを経営したいと言う事で話はトントン拍子で決まった。(買いたいと申し出たときは不動産屋さんには二件の先約があったらしいが、勝利するのは見えていた。根拠の無い自信だが・・・) ということで初夏にゲットしたのに、肝心なカフェは、いまだに開店には至っていない。 その間に、ひたすら、どのような店を始めるかを考えつくしているのだ。 人の店を、散々に批評をするのは簡単だけど自分で店を作るのは本当に考えちゃうナァ・・・・・結局、東京に住んでいる僕には日々の運営をするということは不可能なので、なんと言ってもパートナーが無くしてこの話は成り立たないのだが、人にも本当に恵まれた。
"引き寄せの法則"で本当に素晴らしいスタッフが集まってきた。 求人広告などしていないのに、人が人を引き付けて、パティシエ、料理担当、ウエッブも制作できてセンス抜群、サービスのプロ・・・・とにかく素晴らしい人が集まってきた。その"長"である岩渕哲哉&慶子はシロウトだが、そんなことは関係ない。人柄とヤル気だけが必要な世界だと思う。 そして6ヶ月が過ぎようとしている。近所の水道工事の関係(なにせ沖縄の行政がスゴい。9月から開始する予定の家の前の下水道工事が着工したのが12月・・・・一事が万事!)とかもあって延びている。しかし、決して焦っていないのだ。(普通、家賃とかが発生したら死ぬ気になってやるんだろうに・・・)

最近、ようやく改装業者の選定も終わり工事に取り掛かり、家具も米軍払い下げの素敵なモノを集め、だんだん店らしくなってきた。 店の器(はこ)が、いくらかっこ良くったって、味が不味い、サービスが悪いなんて話にならない。当たり前の事だが、このことも散々のミーティングを重ねて話し合った。要は今までに自分が受けてきたサービスで何が良くて、何が良くなかったかをジックリと考えて整理した。・・・・・1月の某日、試験的開店を機にヒトツの夢がスタートする。完成したスタイルになるのは1年後だろう。いやもっと先かナァ・・・・まだまだ、やるべき事は山盛りあるが、ひとつづつ片付けて、目指すは"お客様とスタッフが最高に幸せになれる店"だ。 必ず沖縄に行ったら"グリーングリーン"だねっ!! と言われる店を作ろうと思う。まだスタートもしていないけど、間違いなく成功するだろうなぁ。何故ならば最高な店になるまで続けるからだ。そんな店は必ず、皆をハッピーにしてくれるからだ。新しい目標と夢が出来て、また人生の楽しみが出来た。
《また改めて紹介をさせてください。店名はCafe GREEN GREEN です。》
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朝の10時にニコタマ(二子玉川)のスポーツジムに行く。だいたい週3回、午前中の2時間はここで大・発汗大会をする。汗を出し切る快感は体験する人間でなければわからない。なんて大袈裟ではないけれど、オレの年齢で暴飲暴食をしていたら、必ず太る。していなくても太る。 それを阻止するには日々の節制と習慣的な運動、そしてダイエットサプリメント&パワーフィットは欠かせない。 実は、この運動&食事の習慣はオレの亡き父親の行動と至極、似ている。親父は商売をしていたが、何より空手道を愛していた。 オヤジは大学時代から社会人になっても、というか死ぬまで空手が人生の中心にあった。(決して中心は家族ではなかった。) 某大学の空手部の監督も随分と長く務めていたし、夏といえば1〜2ヶ月の海外遠征をして世界中の空手ネットワークの人々を指導して回っていた。 そんなオヤジは美食がたたってか20年以上も糖尿病を患っていた。 しかし、オヤジの日々は相変わらず暴飲暴食、美食三昧。なぜならば 毎日、朝5時からウェイトトレーニング、ランニング、バイク(自転車)をミックスして2時間〜3時間をトレーニングにあてていた。その目的は体力強化というよりカロリー消費をして、夕飯の暴飲暴食に備えていたのだ。まさに糖尿病との共存生活だったのだ。そんなオヤジを見て『よーやるわぁ!』というのが当時の印象。最後にはガンで入院をしていたが、病院食は拒否(食べたフリ)して抜け出して寿司屋通いをしていてのには、正直あきれ返った・・・・・それが、代が変わってオレがやっていることは・・・・・・同じだ。 明らかにオレのDNAに刷り込まれていたのだ。・・・決してオレは糖尿病じゃないけど・・・・・・ということで、話は戻るが清々しい朝だ。同世代の人々に宣言しておくけど、オレは"老いは足から"という言葉を信じている。そして年をとってから焦って運動をしたって遅い。かえって身体を壊してしまうだろう。今のうちから少しずつ、運動を適度に取り入れた生活が正しいと思う。なんといっても、運動と知力をアップすることをしない人間の多くは魅力的ではない。スポーツ選手を例に考えたら、選手は試合ばかりをしているわけではない。練習4:試合1でしょ。結局、練習が大切なのだ。ということは一般人ならば運動とか読書とかの知的な吸収をしなくては仕事の伸びも期待できないのではないかなぁ。 終了後にはジムでは決してシャワーは浴びないで、汗をかいたままサッと家に帰ってお風呂浄水器でシャワーを浴びる。もう完全なピカピカ状態!! その後、リビングと書斎の木々(観葉植物とかインドアプラントなんていうサイズではない。ウンベラータなんて高さが3メートル近くになってしまった。)に水をあげて話しかけて、時々栄養をあげる。 木々の生長は本当に楽しい。そしてランチに突入するのだ。 これが平均的なウイークデェーの朝だ。人生はたったの一回。そんなお気に入りの時間を積み上げて生きたいと思っている。 成功っていう言葉がどうも昔からピンとこない。しかしある人が成功を"成幸"と呼んだ。それは羨ましい言葉だ。 オレも目指すは"成幸"だ。 アナタには自分の幸せの定義がわかりますか!! きょうは"一人LМ"をして、じっくり考えてみましょう。誰が評価することではない、あなたあの"成幸"を。
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●日本人を元気にしてくれる建築家・安藤忠雄氏。マジで感動した。
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11月8日(木)昨晩は休肝日ということで、今日の朝は気分爽快。だったら酒なんか止めればいいじゃないの・・・・っていうワケには行かないのがノムウェイ・ビジネスなのだ。近所を一時間だけウォーキングをしがてら、町をパトロールした。この近所のウォーキングって結構、発見するものが色々とあって楽しめるのだ。楽しめて健康にヨロシイなんて最高な事だ。ランチは賞味期限ギリギリフルコースの"残り物ランチ"を製作。東京にはいたり、いなかったりという生活なので冷蔵庫の整理もなかなか大変なのだ。しかしそんな料理は意外に美味しいのだ。ランチの後でグループの児玉ミキちゃんがお母様を連れて来てくれた。実は一ヶ月前から、我が家の掃除を十年以上も前からやってくれていた敏ちゃんというお手伝いさんのご主人が倒れて介護の為に時間がとれず・・・・本当に困っていたところに、お掃除"命"というミキちゃんのお母さんが、その代役を買って出てくれたのだ。本当に嬉しい・・・・波田は掃除、洗濯、アイロンが決して得意ではいので神様がやって来てくれたような喜びだ。お母様は家事命という素晴らしい方なのだ。完全なる引き寄せの法則としか思えない。来週から毎週、来てくださると言う事で命拾いをした気分だ。うれしいぃぃぃ!!
夜は日本が誇る世界の建築家、安藤忠雄氏の講演を見に行った。会場は何故か世田谷区民センターなのだ。安藤忠雄氏は独学で建築を学び、小さな作品からスタートして、何も無い所から世界の第一線を舞台に仕事をするに至っている、まさに叩き上げの巨匠だ。なんと元・プロボクサーという過去を持つ。現在は東京大学の教授もこなし、たしかハーバード大学の客員教授なんて肩書きもあったと記憶する。講演は本当に素晴らしく、プロジェクターを使って現在世界中で進行中の主なプロジェクトを説明してくれた。なんと70以上ものプロジェクトを世界同時進行していて、全てが常識を超えた創作物であった。途中で居眠りしている中年オヤジを、マジに外につまみ出すというハプニングもあって、全てに真剣なのだとう姿勢をまざまざと見て、変なところに感動してしまった。(いつかミーティングで寝ている奴がいたらオレもつまみ出そうと決断。m(__)m )建築家(建築士と建築家は違います。一級の免許を持っていれば建築家と思ったら大間違い。)という仕事は芸術家と違う。芸術家は自己完結できるけど、建築家は施主との折衝、環境との調和、新しい技術の研究など様々な要因との調和があっての作品・・・とおっしゃった。そして終始、日本人は世界中のどの人種より本当に素晴らしい民族である。感性、技術力、国民性・・・について優位を語っていた。全てに日本人にもっと元気になって欲しいというメッセージを送り続けていた。世界をまたにかけてあらゆる人種を相手にしている安藤忠雄氏の説得力は抜群だ。安藤忠雄氏は建築家の枠を超えて小豆島のオリーブ基金を主宰したり、東京湾の緑化プロジェクトなど、仕事を超えた事も数多くこなす。終了後はホールで熱心に本の販売とサイン会をこなしていた。巨匠は小売活動にもまったく余念がないのだ。そのサインも、心がこもっていて名前まで書き込んでくれる大サービス。握手をした手がプロボクサーとは思えないほど、優しかった。オレも人をもっと元気に出来るような生き方がしたい・・・何故か建築の講演を聞いて思ったのだ。
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●ケージロー邸で繰り広げられるGP(餃子パーティー)ナイト。
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10月22日 ホームパーティーというと、とてもお洒落な空気がある。招待するほうもそれなりにかしこまらないと格好もつかないし、呼ばれるほうも多少の緊張がある。 そこで最近はホームパーティーよりグッとカジュアルなGP(餃子パーティー)が良く開催される。この言葉には緊張は無い。最近、流行の"餃子パーティー"は通常、低予算で皆で餃子を作りながら会話をして焼いて食べて、ビール飲んで・・・新しいコミュニケーションが生まれていく。世間で言うところの"異業種交流会"だ。そんな会合では、様々な出会いもあって、友達の友達が新たな出会いとなって繋がっていく。今日はいったいどんな参加者なのであろうか。 波田は料理を作ることは決して苦痛ではないので昼過ぎぐらいになると、パーティーのメニューを考える。(我が家の場合は平日開催なので参加者が8時近くになることもあって、餃子を参加者で作っていたら電車の時間には誰も帰れなくなるので、今回は"餃子"とテーマが決まっていたので宮崎県の"丸岡餃子"を注文して取り寄せて食べる。(これ激美味!) ただ、買った餃子だと絵的に淋しいので、別にメインになるような一品を作る事にした。ということで今日は得意料理の"鳥鍋"を作った。鳥のガラでスープを取ってツクネとぶつ切りが具となる。野菜はキャベツのみ。(何故だか鳥とキャベツの相性は抜群なのだ。) ・・・・・・・・・まぁメニューの解説は良いとして、今夜も面白い面々が集まっていた。 今回は某スペインの有名サッカーチームの"国際ツカイッパ"の男、M。少ししゃべりすぎの感はあるがイイヤツ。 外見はまさに元・モデル。容姿とは裏腹に 釣り、それも海釣りが大好きを越えて釣り専門レポーターをしていて、キャッチ&イート(ゲームフィッシュは普通、キャッチ&リリース(戻す)が多い)という帰国子女。 やはり帰国子女の現役・同時通訳業の女子。 元、料亭の女将。 某、東京を代表するホテルのオペレーター女子二人。やはり留学経験者。 将来的にはお世話になりたい介護士二人。 現役40代モデル&企画屋の夫妻(子供4人)。 ギターとリコーダーを抱えながら自転車で我が家までやってきたミュージシャン夫妻。(演奏をしてくれたが相当に良かった。) 赤ちゃんの頃から知っていた25歳の友達の娘。こないだまで銀行員。 鹿児島生まれの焼酎好きチャキチャキ娘。・・・・・・とまぁ超幅広い編成で、今日のホームパーティーは開催! 会話は、釣り話、海話、海外話、食べ物話、ウワサ話、くだらない話、タブーだが政治の話、・・・・・とまぁ相当に盛り上がった。 東京で暮らしていると沢山の人間と出会う。ただ、どれだけ深い付き合いになるかといえば相当に難しい。 ウチから電車で自由が丘で乗り換えて渋谷まで行く間に、いったい何人の人間とすれ違うのであろう。渋谷のスクランブル交差点を一度に何人の人間が渡るのであろう。そうやって多くの人間とすれ違うが、なかなか出会わないのが東京の街。 そんな中で人は確実に出会いを求めている。刺激的な新しい出会いを・・・それが東京だ。AМでの出会いも面白い。 だからAМをまだ知らない人々とのつながりも大切だ。 そこに、未来がある。 もっと沢山の人と知り合おう。情報は"財産"な時代だ。 それが無い東京生活なんて、レストランに弁当を持って行くのと同じだ。
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10月8日(祭日・体育の日) 体育の日といえば、昔は10月10日だった。いまだに毎年思い出す小学校時代の思い出がある。 小学校3年生の頃だ。とにかく自転車が欲しくて欲しくて仕方が無かった。当時は今では信じられないようなフラッシャー付き自転車が世間の子供の憧れであったが、そんなチャラチャラしたモノでなくて、硬派なブリジストンの自転車が欲しかった。(本当は相当にオタク化していてオーダーメイドのトーエイ号とかアルプス号が欲しかったが、値段が天文学的数字で母親にねだれる限界を超えていたのでブリジストンが要求範囲内と思っていた。)しかし望めど、望めど買ってはもらえない。母親も"通信簿で算数で4を取ったらご褒美に買ってあげる!"(五段階評価だった。)とは言うものの、算数は2から頑張って3が精一杯。母親は何かのキッカケと思い、ゆるい目標を定めたが・・・・・少年・波田ケージローには厳しいハードルであった。それが、何かの間違いか、偶然かぁ、たまたま隣の佐知子ちゃんの答案が見えてしまったのか(?!)、悲願の"4"を取れてしまい、自転車を買ってもらえたのが、小学4年生の10月10日だったのだ。波田はそれ以来、10月10日は"悲願の達成の記念日
"となっている。 母親と世田谷区奥沢の早川自転車店に自転車を買いに行った日を忘れない。あのピッカピカな白いブリジストン号が手に入った日は、泣きそうなくらい感激だった。たしか2万7千円だった。さっそくそのまま乗って帰り、家の周りをひたすらグルグル走り、止まってはスタンドをかけて眺め、また乗り回しては眺めて、そしてピッカピカに磨き上げた。それ以来、週末は自転車に乗っては磨き、乗っては磨きが日常になっていた。その日から、このブリジストンをいかに改造してカッコよくするかで頭の中はイッパイだった。考えたら、初めての自分が所有したオトナと同じモノだったのだなぁ。・・・・・・・モノが今ほどに無かった時代だったからか、今はそんな自分の"物欲"が懐かしいと思う。・・・・・・・・・・・数日前に納車された新車(普段のアシと冬対策で買ったボルボの四駆・XC90)で中央高速を長野県松本市に向かっている。10月10日の少年時代の思い出を懐かしく思い出しながら・・・・・もう、少年時代みたいな感動は感じないのかナァ・・・・なんて淋しい思いをチョっと感じてしまった。欲しくて買った車だがブリジストン号の興奮は無い。こんなにモノが余っている時代だけど、時代のせいにしてはいけない。物欲〜我慢〜物欲〜興奮〜物欲〜爆発〜物欲〜勤労意欲〜物欲〜目標達成〜〜なんて段階を楽しんで買い物がしたいナァ。 今日は10月10日"悲願達成の日"
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9月28日(金) 昨晩は目黒オフィスでミーティングをしていたので、アフターで遅くまでコーヒーを飲んで盛り上がった。と言う事は今日の朝の目覚めは大変にヨロシイ。(普段は起き抜けの二日酔い確認が日課なのです・・・)の田園調布まで一時間のジョギングをして街のパトロール活動。10時半からは目黒オフィスでの人妻ミーティングの宍倉久美子エメとの主催ということで9時半には家を出た。ミーティングは平和そのもの。とってもいい空気です。(自画自賛)そしてアフターは主婦とサボリーマンの10数人で、最近のランチの定番的に利用するインド料理の店"ルソイ"で食事。

その後、ミーティングに参加していた藤田Rと一緒に目黒のイトウシンペイの別宅というかオフィス、いやアジトを訪問した。実はこの日に至るまで数回の仕切りなおしをして、やっとの訪問。今回のセミナー(10月13日)のメインゲストがイトウシンペイなので紹介用のイメージ映像を制作する為の資料を借りるための訪問だ。 シンペイとは知る人ぞ知る仲なのだが、お互い若かりし頃に駅前で業界用語で言うところの"ガンのタレあい"がキッカケでの友達になった。今から33年前の出来事だ。

ここのアジトは五反田と目黒のちょうど中間点に位置して首都高速沿い、港区、品川区、目黒区に向かって殆んど視界で遮断するものがなく、とてもメトロポリタンな空気だ。築年数は想像するに30年前近く。なかなかなレトロ感漂うマンションは、またまた想像するに160u位のユトリそのもの。3LDKの殆んどは釣り道具、キャンプ道具が所狭しと並んでいる。(どうも放置に見えるがシンペイ的には心地よい部屋なのだろう。) シンペイは正真正銘の釣りキチガイだ。波田は"釣り用語"とか、詳しい話を説明が出来ないのが申し訳ないが、とにかくスゴイ。その入れ込みようは漁師の域だ。

以前、渋谷の某有名釣り道具店に行ってシンペイを良く知る担当者に聞いたが、その店で年間に落とす金額は軽く7〜800万円と言っていた。(そんな金額の釣具なんて想像も付かない・・)また、オフィスには至る所にシンペイのセンスを覗わせる様々な品物がところ狭しと並んでいる。中でも本物のピカソのリトグラフは圧巻!なんと数年前に衝撃的な出会いをしてポンと衝動買いで600万円ですって・・・・。まぁシンペイズワールドはこんなページで軽く語れる程、小さくは無い。

山登りで言えば南米の最高峰のアコンカグアを制覇、釣りは南米のパタゴニアからモンゴル、ブラジル、アマゾン川の原住民宅にホームステイ(?)してワニの捕獲を習ったら、お返しにヘビの皮むきを教えたとか・・・とにかく世界中を飛び回る。日本の秘境、奥利根や銀山には半永住状態。まだまだ、語りつくせない。釣りだって行く時には一ヶ月とか数ヶ月! サーフィンをしにスリランカにも出かけていた。まぁとにかく趣味は多枝に渡り、それぞれがプロ的に制覇している。今回は彼の文章での説明はこのぐらいにして、シンペイズワールドを垣間見る、アジトを写真で紹介しましょう。

アナタの部屋の散らかりと、このアーティスティックな散らかり具合を較べてみてくださいね。 世界は広い・・・・・・・・Its
SHINPEIS WORLD!!
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●石井俊八&千賀ニューエグゼクティブ・ダイヤの脳内解剖。
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9月23日(日)人生には様々なセレブレート(記念日)な日がある。誕生日、入学式、卒業式、入社式、結婚式・・・・それらと同等にオメデタイ日にちがディストリビューターにとっての"達成"の日なのだ。AМビジネス的には8月31日で締め切られ、9月18日で正式認定となるので気分的には9月23日の達成ラリーは色々な意味で節目となる日にちであろう。さて今日は、待ちに待った石井俊八&千賀ニューエグゼクティブダイヤの達成ラリーが有楽町読売ホールで行われる。日ごろ自分達でラリーを開催する会場なのだが、なぜか今日は空気が少し違うのだ。この空気は"祝福""達成感"であろうか。 さて波田と石井俊八&千賀との出会いは約17年前だ。二人は波田からみると飯島ダイヤ(学校の先輩)→大熊ダイヤ(飯島氏の日本旅行の後輩)→中嶋裕エメラルド(日本旅行の同僚)→石井俊八&千賀(中嶋裕氏の実の姉が石井千賀)という系列になる。サインした当時から印象深い二人であった。サインに至るまでのエピソードは数々聞いているが、やはり中嶋E(通称ナカジー)の情熱が二人の好奇心に火をつけたのは間違いない。義理の母さん(ナカジーの母親)からAМを裕氏に辞めさせるように依頼された俊八氏。(戸籍的にはトシヤであるが、波田はトシハチと呼ぶ!)当時は某一部上場ゼネコンでエリートコースまっしぐら。過労で胃腸に穴をあけながら何回も入退院を繰り返す、まさに"会社人間"。 彼はその総力を振り絞りAМの秘密を暴露すべく調べつくした。最近のアホで低脳な人間と違ってネットでの調査とはワケが違う! 様々な文献を読破して、会社に乗り込み自分の目で調べ上げた結果・・・・自分もサインして活動開始という、いわば"ミイラ取りがミイラになる"という結果となった。その後のサクセスストーリー(これは肝心な部分であるが割愛します。)は当然に紆余曲折とまでは言わないが楽しいばかりではないが、きっと様々な事柄を楽しんだ事であろう。わかってしまった二人は自分達のサクセス、そして彼らのグループの一人一人のサクセスにベクトルが向いていた。そして俊八は様々な経験から様々なクチグセが生まれた。"ツイテル"はその代表的ボキャブラリーだ。一日に何回、何十回、いや何百回とその言葉を連呼する。グループへの電話は"もしもし"ではない。リーン、リーン、ガチャ〜"ついてる〜"だ!! そして完全にツキを見方にして、まさに宗教的といわれても仕方が無い位に"ツイテル"を連呼。今日も新しいラッキーを取り込みながら、新しい目標に向かっている。様々な人間の変化を沢山見てきたが、あの鬼の様な目をした会社人間・トシハチは、まさに時間と経済力の完全な自由を手に入れて、正に"自由人"となって今日も"謎のオヤジ"となり周りをハッピーにしているのだ。 "ツイテル"に根拠なんてありゃしない。でも間違いなく言葉は"言霊"で"引き寄せ"なのだ。
彼らには、スバラしいサクセスストーリーを見せてもらいました。その集大成のラリーは素晴らしかった。ゲストで来てくれた渡辺正人氏のスピーチも完璧だった。世の中の仕事のサクセスとこのビジネスの成功と、大きく違うのは、ただの経済的成功だけではない共に成功を分かち合える仲間がいることだ。ラリーの最後の俊八のコダワリには感動した。(DVD見てください!)そしてフィナーレーの9系列の仲間と手をつないでバンザイをしている姿の石井俊八&千賀ニューエグゼクティブダイヤの姿を心から誇りに思えた。 ありがとう!!いいもの見せてもらいました。どんな映画より見応えのある素晴らしいライブのサクセスストーリーでした。そしてこのストーリーにはまだまだ、続編があるのです!コレはたんに序説にすぎないのです。 GО!ダブル・ダイヤモンド!!〜
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石井俊八&千賀ニューエグゼクティブダイヤの達成ラリーのDVDの申し込み。
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@住所、A名前、B枚数、C連絡先(TEL&FAX)、Dアップダイヤ、Eピンレベルを記入の上FAX03−3269−3170(有限会社マゼラン)まで。
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申込期限:10月10日
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発送予定:11月下旬 価格:2500円 送料・手数料:合計1万円未満1000円、1万円〜3万円未満1500円、3万円以上サービス
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●人生の定番的日記です。下田《オキラクハウス》の夏。
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多分、過去に何回か同じような内容の日記を書いた気がする。わざわざ調べようとも思わないが記憶にはある。仕方が無いのだ。これが夏の定番のライフスタイルであるし、こんな生活をイメージして目指していたのだから・・・・・・この夏も随分と長い時間を下田《オキラクハウス》で過ごした。オキラクハウスも今年で5年目の夏となった。毎年来る人もいれば久々に来る人も沢山いる。

みんなビックリするのが、毎年の進化だ。なんの進化かと正確に言えば、家と庭だ。この一年を簡単に振り返ってみても、裏のただのテニスコートがテニスコートでなくなり(テニスコートを庭にするには、まずテニスコートを破壊することから始まる。やってわかったが、フェンスの破壊、人工芝の撤去、下地のアスファルトの除去・・・・相当に大変だった。正確には福井達が大変だった。ご苦労様です。) 大体のデザインを考える・・・・植える木々、塀のデザイン、芝生の場所、植えるに相応しい木を選ぶのも簡単ではない。花も季節的に向いている花、向いていない花と知識が無くては出来ない事が多すぎる。(相当に園芸には詳しくなったが奥深すぎる。) とまぁ幾多の楽しい困難を乗り越えて、晴れて夏を迎えることが出来たのだ。(あまり中途半端な状態で夏を迎えると落ち着かない。)・・・・・・・・今年の夏も7月後半から北海道のイリモト御一行から始まり、山崎よっちゃんCAやシンペイ家、米村EXチーム・・・8月の下旬にかけてまで、延べ人数を計算したら約200人が遊びに来てくれた。(毎日平均10人、それが三週間続く!その間のビール消費量は約700本、ワインなんて恐ろしい量だ。) 夏は基本的に二泊三日でみんなが来るので、重複する日(前の班は三日目を夕方まで過ごし、次のチームは渋滞を避けて早朝に到着することが多い。するとある日のランチタイムは20人!そしてそんな日に限って地元の友達とか日帰りで遊びに来た友達が訪ねてきて25人のランチになるなんてことも頻繁にあるのだ。前はそんなランチは血相抱えて準備をしたが、もう全然、慣れてしまった。今年は夕飯も一度25人という日があったなぁ。

でもそんな日は準備をする人、仕込みの手伝いをする人、バーベキューを焼く人、どんどんと出てくる洗い物をサッサとする人、ゴミを整理する人・・・無言のうちに自分の役割が出来ていて、チームワークも良く和気藹々と和んだ時間になるのだ。だいたい2〜4人組みのチームが3チーム来ているので、最初は他人、三日過ごすと新しい友達!みたいに新しいコミュニケーションがドンドンと生まれていくのが楽しいのだ。(そんなコミュニケーションから新しい仕事に発展した人、彼女が出来た人、結婚したカップルまでいるから可笑しい!!) サーフィン・デビューした人も数多く、かつてはウエイクボード世界ランクまで持った新潟の堀正樹はウェイクを捨ててサーフィンに没頭するに至っているキッカケもオキラクハウスでのサーフィンだった。園芸魂に火が付いた人、改築魂に火が付いた人、料理に、もちろんAМに火が付いた人も数多い。そんな沢山の出会いやキッカケが生まれたオキラクハウスは本当にハッピーだ。そして毎年、四季を通じて時間を過ごす事を楽しみにしてくれている友人が沢山いるということが、夏の楽しみのひとつになっているのは事実だ。 オキラクハウスはただのビーチハウスではない。人と人を仲良くしてくれる、そんな素晴らしい空間に発展している。 当分、夏はこんなスタイルで遊んでいるんだろうナァ・・・・・ちなみに、今年はどこも猛暑だったでしょ。でもオキラクハウスは一度もエアコンのお世話にならなかったんです。快適なんですょ!!・・・・・・・・・・来年も新しい"出会い"があるんだろうなぁ。今から楽しみだぁ。(余談ですが下田は一年を通して温暖な素晴らしい気候ですが、一年でベストシーズンは夏休み以外の時なんです。夏は人も多いし・・・・実はこれからが楽しいシーズンなんですょ。)
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2007年7月31日、久々にニーツさんに会った。ニーツさんは新津さんで新津章(ニイツアキラ)さんだ。ニーツさんは波田のフロントでダイヤモンド。22年前にAМをスタートして一週間目、ボクが三人目にスポンサーしたのが新津さんだ。(ニーツさんスポンサーリングは至上命令であった。当時は我々には信用なんてものは皆無であった。そんな自分に絶対に必要なモノが信頼を勝ち得るという事!スポンサーする友人に"新津さんも始めたんだぞォ!"と言うと全員が"じゃぁ間違いないナァ!"と納得してくれてサイン。そこまで新津さんの信用は絶大だった。) 関係を簡単に言えば、元の会社の上司。新津さんと初めて出会ったのは、波田が18歳の時に、押しかけバイト(バイトとはいえ2年間は無給だった・・・)のフラットフォーという、まだ産声を上げたばかりの三人しかいない会社だった。夢イッパイの会社と社長は本当に魅力的だった。最初の"志"が高い分、いまでは業界では屈指の大サクセス・カンパニーに成長している。新津さんは当時は弁護士を目指す法律学科の大学院の学生だった。超×100位におしゃれで、そのコダワリ感は今でも鮮明に記憶があるほどに衝撃的なカッコ良さだった。(当時、深夜にアメリカのドラマで"若い弁護士達"という番組があって、お洒落な若き弁護士が問題をどんどん解決していく、という正義感あふれるインテリな若者・弁護士が主人公のドラマがあったが、相当にその主人公とラップしていた。)そのニーツさんとの出会いがキッカケで波田も"ファッション魂"に火が付いたといっても間違いがない。初めて見たときは、フランス製のソレックス(黒い自転車に原動機という小型エンジンが付いた乗り物でモペットという当時、パリジェンヌが愛している乗り物。日本ではまず見ることは出来ないシロモノ。)に乗り、当時ではまだまだ珍しいハンティングワールドのバックを斜めにかけて、(ルイビトンのモノグラムも初めて見たのはニーツさんのモノだった。)セーターは上質なイギリスのプリングル、パンツは誰も履いていないリーバイスのコーデュロイ、靴は見たことも無いクラークス、タバコはフランスのジターン。(名優アランドロンも愛したジターンがニーツさんの大人の香りだった。) 車はフォルクスワーゲンのバリアント、50年代の真っ黒いビートルにも乗っていたナァ。とにかくお洒落の極地だった。あんな選択眼はどうやって養ったのであろうか・・・・当時はまだ、ファッション情報誌ポパイもブルータスも無い時代。せいぜいメンズクラブ位だったからなぁ・・・そんな、とにかく時代の先端だったニーツさんとは、かれこれ30年の付き合いになる。 お互いのAМのビジネスが順調になるにつれて、だんだんと会う機会も減り、いまや意識して待ち合わせをしないと会えない位に忙しくなってしまった。ということで一ヶ月前に調整して、やっとお互いのスケジュールがあったのが7月31日だった。東急東横線の学芸大学駅で待ち合わせをしてニーツさんの知っている寿司屋を訪ねた。(これまたいい店だった。)ニーツ氏は超グルメで波田が知っている店、発見した店なんてとうの昔から、ことごとく全て知っているのだ。その情報量は本当にスゴイ。(自動車の情報量もスゴイ!自転車もスゴイ!何でも本当に良く知っている。)そんな久々の酒宴は昔話チョット、趣味の話が殆んど、AМ話もチョコっととで楽しい時間だった。年の頃、55歳だというのに、そんな空気は微塵もない。一昔前なら定年の年なのに、こんな健康体を放っておいたら危険だ。(最近は毎日、ロードレーサーでツーリングしているらしく筋肉ブリブリ!)そしてルックスが若い以上に脳が超若いし、発想なんて子供だった。・・・・・昔からの友達(いや、先輩です。失礼!)が幸せなのは、自分にとっても幸せだ。少なくとも、このビジネスがニーツさんの思考も、様々な選択も若くしているのは事実だろう。長い目で見て・・・・ビジネスの成功ってナンだぁ!?!と考えたとき、自分らしい素敵なライフスタイルを送り続けるニーツさんは充分な成功者なのだと思った。ダイヤモンドなんてもったいない程の実力なのに・・・・
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●悲願の17店舗ハシゴ・・・・新潟の堀正樹に学ぼう!
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2007年7月11日 新潟の堀正樹はダブルダイヤにして二児の父、ウェイクボードの世界ランキングをもつ腕前にしてサーフィンに熱狂中。日本中、そして世界中をサーフトリップして回っている。その上、新潟市内で17店舗の店を経営しているというのだから感心する。今回はその17店舗を全て案内してもらおうというのが、その趣旨。店がどんな店なのか、どんな状態なのか、どんな料理で雰囲気で店員さんがいて・・・・是非見てみたいと前から思っていたのだが、なかなか機会が得られなかったが、ついに実現の時となったのだ。夕方に波田は新幹線で新潟に入り、同行の井利元Wは札幌から空路、駆けつけた。折角なのでミーティングが企画されていて、19時からお仕事なので早々に戦略会議が開かれる。と言うのはミーティングをしたら終了は21時、それから17店舗周りと考えると、実質4時間で17店舗ということは240分÷17=14,11分/1店舗当たり・・・・という計算だ。食事どころかドリンクを注文して出てきた頃には次の店へ・・・・なんて状況も考えられる。ということでミーティング前に行かれる数軒の店に開店同時に乱入作戦で、イタリヤ料理店の大箱の"ラルゴ"を視察。ここは日本海側一番の音響施設を備えている。(しかし日本海一という比較級があるんだなぁ)そしてベトナム料理の店"ハノイ"(この店だってスゴくて、堀と一緒にベトナムのハノイを旅行して、帰ってきて一ヵ月後にはその店が出来ていた!しかし旅先で出店計画なんて、一切そんな話は出ていなかったのになぁ・・・)にてフォーと生春巻を食べて、早々に移動して、ナナメ迎えの焼き鳥屋へ出かけて注文したのは、名物の鳥つくねとウーロン茶(ミーティング前には流石に飲めないからネェ・・ちょっと辛かった。>^_^<)・・・その後ミーティングに挑んだ。持ち時間の二時間半は全て井利元と波田が担当!ハロートークも無い。ビールを美味しくするためにも120%の全快状態で飛ばした。なにせ会場は恐らく定員の220%は入っていたよ!消防法をナメてるか、会場の担当者を手なずけた意外には考えられない。ミーティング終了後はイッキに堀号で市内に戻り、戦いは始まった。申し訳ないが、それぞれの店名はハッキリと記憶していないので悪しからず。最初は和ダイニングの店。奥の個室が落ち着いてイイカンジ。何故か同行した姫路の重田洋子さんと宮崎五子も落ち着いたソファーでくつろいでいる。しかし落ち着きすぎて時間がドンドン過ぎている。堀は、聞くと、はなから全店制覇は無理と決め込んでいるではないかぁ。そこで奴の間違った考えを一撃して、キッチリ正して波田の覚悟と意思を確認してもらった。その後、その一階の居酒屋、近所のアジアンダイニング、洋風居酒屋、ダーツバー、不思議なバー〜〜〜〜〜〜をどんどん店から店を回った。それぞれに個性があり、作った経緯(いきさつ)を聞きながら飲むのは楽しい。店の数店は一年以上ぶりの社長の訪問にビックリしている。最後の焼酎専門バーでは、本当に全員ともぐったりと疲れたが楽しい時間だった事を一軒ずつ思い出して確認しあった。今回、堀の言葉で印象的だったのは"人ありき"ということ。店をやりたい人がいて、その人の責任で店を作り運営も決済も任せているのだ。(回った店の中の一軒で"足長おじさん"という店があったが、まさにその人が堀なのだ。)何かをやりたい人間にも最高のチャンスを提供して、当然に利益も分かち合える関係をもてる人間関係を作れている・・・・これって素晴らしいことじゃない! これが堀の幸せの"源"の考え方なんだナァ・・・・・学びました。有難うございました。また今回、運転手をしてくれて段取り良く回る手配をしてくれた富樫エメにも感謝です。 あぁ〜〜〜オレも堀様になりたいなぁ。
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6月25日 お買い物をした。少し大きい買い物だ。夢リストを確認したら、そんなサイズの夢は書かれていなかった。でも正直、時々だが考える事はあった。何となくねぇ・・・
ボクは十数年、ほぼ毎月、沖縄に通っている。最初はダイビングがてらAМのグループ・ フォローというのが大義名分であったが、そのうちにフロントが出来て、グループが出来だして独立、また別にもグループが出来て、また独立、そして新たなグループが出来て・・・ダイビング熱は一時的に冷めてしまったが、沖縄熱は冷めるどころか、どんどん増していき、どんどん好きになっていっている。離島(石垣島、宮古島、与那国島、西表島、竹富島、小浜島、慶良間諸島、・・・)も随分、行ったが本島が好きだ。それは自然と都会(程よいサイズの街)そしてアメリカ文化が根強く残っているところであろうか。ここの中心は米軍基地。基地の周りにはアメリカから持ち込まれた文化が色濃く残っている。食べ物、家具や家、文化にまで浸透している。

沖縄には一泊1日で通う事も多いが、(昼過ぎの便で那覇に着いてミーティングをして居酒屋で飲んでホテルで倒れて、翌朝8時台の便で東京に戻る・・) 近年は滞在時間がだんだん長くなってきていた。それでも二泊二日程度かなぁ・・・・なのに毎月、来ないと何故かリズムが狂うような気持ちにさえなってくるのだ。そんな沖縄には天気や土地からくる魅力もあるが、人間の魅力は大きい。素晴らしい出会いが出来たといえば、全てだが、出会う人、出会う人が本当に素晴らしい。ノンビリしすぎている人も多いが、それもオッケー。 だいたい沖縄の人は本当に沖縄が好きで、東京に働きに出てもスグに帰ってきちゃうし、何かに付け沖縄は素晴らしいって話をしている。・・・・・まぁボクも同じ部類だよなぁ。
ボクにとって沖縄での魅力的な"家"は二種類で、昔からある"琉球住宅"(赤瓦で木造、軒が長くて日差しをさえぎる、畳の広間が続く伝統的な住宅)良く沖縄の映画といえば出てくるタイプだ。 または"米軍住宅"と言われるアメリカ軍のベース(基地)の中にあるアメリカ人に住みやすい"小さなアメリカ的"平屋の住宅なのだが、これは本島にしかない。そして当然に日本人にも住みやすい家。(これは個人の趣向によるなぁ。) 時々市内に数十件の集落の様に米軍住宅が建ち並ぶ地域がある。 いずれにしろボクの好きなそんな住宅は減少傾向で、だんだん貴重な存在になることは必須だ。 古いものに強く惹かれる、ボクの趣味は、いつか住んでみたいなぁ・・・的な希望的観測はあったが、そんなに現実的ではなかった。ただ東京の価格と較べるとワンルームマンション程度で買えるのは事実。ならばオフィスとか使い方はあるかナァ・・・あの頃に手に入れていれば・・・・なんていうのも淋しいので、何となく酒の席で岩渕テッちゃんに、何かあったら情報をちょうだいねとは言っておいた。(テッちゃんはこの手のお願い事には誠心誠意答えてくれる。) そしてそんなお願い事も何ヶ月もたって忘れ始めた頃にテッちゃんからのメールが届いた。『こんな物件がありますよ!ケージローさん見てみたら・・・・』 正直、見るのが怖いナァ〜的な思考が脳を走ったが、即クリックしたのだ。(それが丁度、下田工事が終盤戦でだいたいの完成図がわかった日の夜だった・・) そこには、かつて見たことも無い位の素晴らしい物件があった。 家自体もパーフェクトであったが庭が凄かった。庭の充実した家というのは沖縄では希少なのだ。(どういうわけだか人々は庭に過度なエネルギーを注がない。緑は山に行けば沢山あると考えているからであろうか・・・沖縄だけではないが・・)その庭には樹齢100年級のホウオウボクやシークアーサー、またマンゴーなどが自生しているのだ。アレカヤシなど見事で植物園状態だ。

また道路から一段下がり、家が建って、もう一段下がって庭がある。遠方には太平洋も望めるのだ。おそらく米軍の将校クラスが庭を愛しながら長く住んでいたのだろう。 ということで後日、沖縄に行く日に内見のアポを取った。そして、約10日後に現地を初めて見たのだ。・・・・・・・・・正直、衝撃だったなぁ。現物は写真などよりズッとかっこ良かった。沖縄の家に本物の石積みの暖炉なんてお洒落すぎる。 当然、欲しくなったが、なにせ家を買い集める趣味など、まるでないし、時々住むにはデカすぎる。オフィスにするには大きすぎる・・・・何に燃えたかと言えば、この場所でカフェを開いたら、相当に地元民に喜ばれる素敵な場所になると思ったのだ。・・・・しかし良く話を聞けば、すでに手付金を入れている先約があるという。でも、そんなのは全然、大丈夫だと察知した。絶対に"引き寄せ"られるに決まっている。(波田の不動産引き寄せパワーは凄いんです!!)・・・・・そして一週間後に不動産屋さんから連絡があり、手に入ったのだ。 また引き寄せてしまったナァ〜〜そんな安易なカフェ構想がスタートしてしまった。しかしやるからには中途半端はしない。今はそんなテキトーな事を言っているが、やるときにはやりたい。自分の理想をジックリと考えよう。やはり潜在的には何かをやってみたいと言う考えはあったんだよなぁ。 だから実現しつつあるのだ。そして考えた事がなかった夢を手に入れるのだ。
沖縄方面の大工さん、水道屋さん、植木屋さん、食材屋さん、カフェの店員希望の方、なにか素敵なアイデアのある方、メール下さい。
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2007年6月4日 久しぶりにハイスピードで下田の工事をしている。5月の連休に始めた下田第15期工事(本当かよ!)は裏のテニスコートを破壊、そして普通の土地にしてから庭として機能するようにしなくてはならない。プール案、熱帯植物園案、温室案、バー案、カフェ案、トレーラーハウス案、パオ(モンゴルの丸いドーム型据え置きテント)、丸太小屋でビレッジをレンタル・・・・・様々な案が出たが考えているうちに迷い迷い迷いまくり・・・・飽きて次のアイデアに移り・・・・・デザインも散々考えているが今だ、結論には至っていない。(ゲストハウスは必須なので場所はあけてある。) ということで、大体のグランドデザインは出来たので見切り発車!

一気に夏前になんとか出来るまでやろうというのが今回の工事なのだ。まずはガレージを作る。その線引き、塀を作るので基礎を掘る工事。こんな時に怪力・福井チームは本当に100万人力だ。塀だって何もこだわらないアミのフェンスにすれば、まったく問題は無いだろうに、しかしやはりカッコいいのは"木"だろう。メンテも手間も費用も全部大変なのに・・・・・・今回の工事で裏庭から母屋をグルリと塀で囲うことにしたので、その調達した木の量だってハンパじゃない。またそれを一枚一枚丁寧に防腐剤がはいった材料で二度、三度とペイント、ソレが出来たら植栽にかかる。

ドラセナインディーサを13本、巨大ソテツを3本、細かい木々を大和田健(大和田剛の弟で庭師)と相談して東京の市場で購入・・・膨大な量を植え込んでもらった。そして芝生も入れられて完成の粋に!! 今回の工事には、久しぶりの菊池優D(オキラクハウスでは奴隷マスターという最高ピンレベル)が来てくれて、一緒に穴掘りをした。ヤツは本当の創設期(5年前のまだ廃墟だった頃。いや、初めてオキラクハウスを発見したときも一緒だったから真の生き字引だ。)を一緒に手伝ってくれた、いわば恩人だ。久々のオキラクハウスで日々遂げている発展を見て喜んでくれた。オキラクハウスには最初からの工事が写真で記録として残っているが、そのヘビーな工事の写真にはだいたい菊池、岩渕あたりが写っている。福井チームも劇的な変化を作業してくれた"恩人"で今回もサーフ&ロードウのハードスケジュールを楽しんでいた。夜の"宴"はどうしても昔話でも盛り上がった。

世の中には様々なハッピーな姿があるのだろうが、オレはこんな瞬間に幸せを感じる。素晴らしい仲間がいるということは、実は最高の財産なのだと思う。《オキラクハウス》の完成までの道のりは確実に進んでいる。沢山の人々に愛され、沢山の人が集うここ《オキラクハウス》、いつも楽しいオーラに包まれている。・・・・・・・・今年も沢山のお客さんがやってきます。うっふっふ〜〜〜楽しい。
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今回のリーダーシップセミナーは誰もが大好きな"ハワイ" 何度行っても飽きる事無く毎回、楽しめる場所だ。今回は通常のスケジュールの三日前から入りハワイ・ライフを満喫した。数あるAМの招待旅行でもリーダーシップ・セミナーはグループの人も沢山、参加するので楽しい。パーティーも恒例のグループの食事会、グランドバンケット、エンターテイメントのCHIC(80年代のディスコミュージックを代表するグループ)も楽しみだが、それ以上に興味津々だったのがAmの新社長のJohnParker氏とのサーフィンだった。

新社長が若いとは聞いていた。 日本を出発する二日前に社長の代理から電話がかかってきた。 『波田さんはサーフィンをされますか!?新社長のJohnParkerが、ご一緒にサーフィンをしたいと申しております。』正直、衝撃的だった。年齢が自分より若いというだけではない。接待ゴルフならわかるが、接待サーフィンの時代なのかぁ!!ということで朝の9時に集合ということでハレクラニ・ホテルの前のビーチで新社長を紹介された。なかなかのいい男!そして奥様もサーフィンをするということで紹介された。そして早々に入水。ここのポップスというポイントはビーチから相当に遠く、少々、体力が無ければポイントまで辿り着けない。先に既に入っていた細見ダブル、増田クラウン、シンペイEX、秋山EX、進藤由美子T、畑山健一郎T、梶原CA、堀W、北紺CA らと合流した。波のサイズは小さかったが、それなりに楽しめた。なにより、そんな仲間で入るのは本当に楽しい。(実はサーフィンのルール的にいうと仲間で同じポイントに入るのはご法度。少人数の地元民が気分が悪くなるからだ。) そして、ある一本が最高だった。どうせ平和な波なのだからということで社長JohnParkerが乗ろうとした波に、堀W、畑山T、波田が同時にテイクオフ! 4人で並行して一本の波に乗ったのだ。皆でその平和感イッパイなライディングを楽しみながら奇声を上げて喜び合いハイタッチを何度もしてゲラゲラ笑いあった。その後も数時間、本当に楽しい時間になった。

ランチタイムには、皆で上って記念撮影。そしてハレクラニ・ホテルのカフェで参加者全員でランチをした。新社長を囲んでのランチは本当に楽しかった。自己紹介的な話からマジなビジネスの展望などを聞けた。なんと入社15年で社長に就任という異例の大出世街道を歩んだだけのこともある。この次期・若き社長、ヤル気満々で日本にやってくる。きっと何かが変わるのだろう! 素晴らしいハワイでの午前中だった。
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昨年の秋に下田の《オキラクハウス》裏の使っていないテニスコートを、やっと買うことが出来た。そこでテニスなどは予定は無い。話せば長いのだが、最初にこの家を購入した時には海(ビーチ)には面してはいるのだが道路には面していない・・・・ということは不動産的価値はゼロ(法律上だと建て替えが出来ない。)という究極の難題を抱えた物件だったのだ。しかしオセロゲームの様に要所を手に入れないことには、話は進まない。その後、ご近所さんの民宿のご主人、植木屋さん、ペンションのオーナーと親交を深め、信頼関係(っていうか先方からボクを信じていただくだけの事。)を少しずつ作り、やっと最高実権を持つオバァ様に了解を得たのだ。

このテニスコートには公道に面しているので、ここを利用すれば我が《オキラクハウス》も公道に面することになり万事休すとなるのだった。しかしテニスコートは面積350坪以上なので、どう考えてもそんなに土地は必要ではないので、ボクの使う予定のない部分を使って別荘を建てたい人(これだって隣人になるのだから誰でもいいという事はない。地元民はヨソモノを嫌う!)を探さなくてはならない。そんな幾多の難題を三年越しで解決して、やっと昨年の秋に最高な形で手に入ったのだ。・・・・・・そしてこの元・テニスコートも有効活用しなくては!! 当初は熱帯植物園案、プール案、バー&カフェ案、農地案、駐車場にして貸す案、トレーラーハウスを置いて・・・・様々な案となったが、いずれにしろテニスコートを破壊して整地して必要なモノ(駐車場三台分他)を作るのが先決。そして何故に急いだかと言えば、植樹を早く済ませたかったのだ。実は家の完成度は庭の木々で決まると思うようになったのは、この数年だ。『家は一年、庭10年』とも言う。要するに成長に時間がかかるのだ。だから要所の大切な木を早く植えたいという気持ちが爆発。ということは関連した"へい"とか入り口周りの植栽などは、早く作って植えて、残りの建物(今のところ三人分のベッドルームと野外バーが有力。)はジックリと考えながら進めようという方針だ。ということでゴールデンウイークは大工ハマーの指揮の元、強力な福井チーム、神谷アンドリュー、シンノスケ、仙台のコウコ、マコト、あつ子 などの混成チームに手伝ってもらい穴掘りを始めたのだ。

100坪のテニスコートの表面に張ってある人工芝を剥がし(福井チームは冗談みたいな働きで2時間で全部、粉々に剥がしてくれた。)塀の予定の土地、約12メートルのアスファルトを、木っ端微塵に砕き、塀の基礎を作る準備をしてくれた。かたや塀の材料にする木材を切ったり防腐剤を含んだ塗料を塗ったりという作業も分担。仕事ぶりはビューティフルだった。そして三日間でお見事な進展を遂げたのだ。作業当日にアドバイスをしに来てくれた植木屋のご主人は、僕達の今回の作業プランを聞いて完全に『そりゃシロウトには無理!!』って目をしただけではなく、そのまんま言葉で発した。しかし最終日に来てくれたときには唖然!!!『今度、仕事、頼もうかナァ・・・』とまで言わしめる仕事ぶりだったのだ。うっふっふ 満足!満足!!〜〜今年の夏前の工事は楽しみだ!! 達成感を皆で楽しみながらの『サーフ&ロウドォー』ツアーは他では味わえない男のロマンなのだ。 これから夏前までに植え込みに植栽、大きい植樹(夾竹桃、ドラセナ他)そして側道のオキラクロードの塀も作り、芝生も植えて、新しいシャワーブースも作り・・・・・・果てしない空想はいつまでも続くのだ。波田の頭の中は文字通り"庭でイッパイ"だ。
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4月26日(木) 最近、とても欲しいモノがある。それは自転車だ。ママチャリとは一緒にして欲しくない・・・ロードレーサーが欲しい。少年時代(記憶だと小学校4年生から中学校2年生位。)が頭の中はクルマと自転車でいっぱいだった。クルマは流石に乗れるようになるまで、6〜7年あったので現実的ではなかったが、国産車から外車のカタログを1500冊位、集めて常日頃から研究をしていた。現代社会でいうところの"オタク"である。そしていつも空想の世界でドライブを楽しんでいた。自分の中で欲しくなって乗り回して、だんだん飽きて、また乗り換えてドライブしてみたいなことを繰り返していたなぁ。その頃に乗りたかったクルマを今、順々に乗っている。なにせ当時(70年代から80年代)は各国のクルマの個性が著しく違っていて楽しい時代だった。性能的には現代のクルマが格段に良いのだが愛着が湧くのは当時の車だろう。ドイツ、イギリス、フランス、アメリカと国によって会社によって主張がハッキリしていた。・・・・・・クルマ論議はさておいて、当時(時代的には熱狂クルマ少年の前の時代であるが・・・)自転車が大好きであった。

当時はサイクルスポーツなどといいうマニア向け雑誌を穴が開くほど読みふけっていた。自転車での日本一周旅行記なんて本を読むと妄想で頭が膨れ上がり寝られなくなった。そして、ここでも空想の世界・・・当時はランドナーという長距離の旅行用の自転車に憧れ、イタリア製の自転車なんて夢の又、夢だった。鉄人メルクスが活躍したツールド・フランス(フランスの国を挙げての自転車レース。スゴイよ!)なんて憧れだったし、当時から登場していたイタリア・ブランドの"コルナゴ"や"デローザ"なんてヨダレもの!! 崇高さはフェラーリ以上に感じたナァ。ただ一言で自転車といっても、もうここらへんは、性能もさることながら工芸品的に美しい"仕事"が細部に施されていた。しかし当時、乗れた自転車は国産ブリジストン社のスポーツ自転車。それをイタリアンバイクな気分で日曜日には60キロ位のサイクリングに出かけていた。話は長くなったが、最近、周りの大人の友達が自転車(ロードレーサー)に燃えている友人が多いのだ。そして様々な話を聞いているうちにフツフツと興味が湧いてきてインターネットで様々な情報を見ているうちに、当時の欲望が爆発したのだ。友達から紹介されて自転車屋も覗いてみて"ヤル気"も満々になってきた。細かい好みの話はしないが"クラシカル&快適"を追求して注文をしてみようとおもう。イタリアでは週末には草レースが沢山行われていて素人(ズブじゃマズいだろうけど・・・)も参加可能だし、ハワイでも、沖縄でも参加できるレースはあるみたいだし・・・・・・・・そんな少年時代の夢を実現するのも楽しい事だ。
後日、ものすごい一台を入手に成功!!!目の留まったのは、やはり80年代でした。アンティーク界の大御所T氏(20代にロンドンでお世話になった。)は自転車のコレクターで一台分けてもらえたのだ。それも名車"トマジーニ"当時はコルナゴ、デローザより高級ブランドだった。 ウッフッフ〜〜嬉しい。やはりモノ(道具)は大切だ。一流の道具で練習するぜぃ!!!
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4月7日(土)朝から"お手伝いさん"の敏ちゃんが来て掃除、洗濯をしてくれたりと、本当に助かる。単身赴任生活のボクの家に敏ちゃんは月に四回程度来てくれるのだが、敏ちゃんがいなかったらオレの生活は全く成り立たない。人間にはどうして得意、不得意があるのか、料理は好きだが後片付けは苦手、洗濯は出来るが、干すのと取り込みがキライ、庭の手入れは好きだが、草刈りは好きじゃない・・・・自分の苦手な事は気持ちも入らないから、結果、なかなかいい仕事は出来ない。苦手な事を仕事としてお願い出来るのだから、ストレスを溜めない為にも、お願いできる事はお願いしよう。正しい社会は分業なのだ。午後からは石井俊八ダイヤと行う毎月表彰ミーティングの"イッピデゴォー"(毎月1日からバッチリと盛り上がろう!!)が行われ、先月、達成した人々を祝福した。今回はサファイア、エメラルドのカウントに突入した咲間ルビーや加藤ルビーのグループのおかげで、本当に盛り上がった。大島知己君は、マーケティングを聞いて理解できて、脳に衝撃が走り大学を中退して親には念書を書いて許しを請うてスタート!見事に三ヶ月でSPを達成した根性野郎だ。彼のスピーチは本当に素晴らしかった。なにより石井俊八&千賀は前期にファウンダーズダイヤを達成して、そのままの勢いでエグカウントに突入している。まさにノリノリな二人なのだ。この二人のお陰でどれだけ良い空気になっているかは計り知れない。存在がポジティブ・シンキングの空気清浄機そのものだ。とにかく素晴らしい経済効果。・・・・・・終了後は藤田の運転で浅草に向かった。今晩はイトウシンペイのサプライズパーティーが行われる。その会場は、なんと日本一古いというか由緒ある遊園地の"浅草・花やしき"だ。恐怖のジェットコースターで有名だ。それは富士急ハイランドみたいな高度なソレと違って、ジェットコースター本体が"木製"というシロモノ。揺れる恐怖は別物だ。今日は18時の閉園後を貸しきってた。(だいたい貸し切れるなんて初めて聞いた!) 高木ナオグループはもの凄い団結力で、このパーティーを盛り上げ成功するために準備していた。今日の参加者は480人と聞く。どうしてそんな大人数が連絡しあって準備していてもシンペイは気が付かないのかというと、シンペイは携帯電話は持ってはいるがメールなど出来ないのだ。そしてファックスも見ない。ハイテク生活は無縁・・・・だから人々の口封じさえしておけば、シンペイに気付かれる術は無いと言う事だ。シンペイにはゲストでミーティングとして依頼している人がいて、それの誘いで"花やしき"に入ってきて、そのままサプライズパーティーへと流れた。本人は全くナンの事だかわからない様子で"唖然"としていた。だんだん事の成り行きに驚き、珍しく男泣きをして感激を表していた。そしてその日、シンペイがもらったプレゼントはハーレーダビットソン(オモチャでなくて本物。)会場は本当にハッピーな空気で充満していた。渋谷センター街をウロウロしているような青少年も嬉しそうに見守っていた。(本当にシンペイのファン層は幅が広いのだ。)

二次会は近所の由緒ある居酒屋だった。そこの女将は浅草の有名人で天才・北野タケシのメンター。なんと映画・座頭一を撮るように勧めたのも女将の助言と聞く。しかし精々100人位の定員の店に推定280人!!そして先程まで季節はずれの夕立で豪雨が降った後にも関わらず外の道にもテーブル&椅子が100人分位、用意されていて外は外で盛り上がっていた。今夜は昔懐かしい顔も沢山見ることが出来た。皆、それぞれ元気そうだった。皆、少しだけ年をとっていた。皆、少しずつ笑いシワが増えていた。みんなAМでそれぞれの幸せを掴んでいるんだナァ・・・・・安い焼酎だけど、今夜はとっても美味しかった。
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3月24日(土)沖縄での朝は気分が爽快だ。今日は天気は少々どんよりしているが、それでも少し湿った南国の風がたまらない。一時間のウオーキング&ジョギングで那覇の市街を回って発汗した。昨晩は照屋エグゼクティブ・ダイヤのオフィスを借りてミーティングを開催し、その後、近所のカフェでアフターをした。なかなか素敵なカフェで、二階には20人が座れる大テーブルがあり、そこはハッピーな空気が漂う楽しい少し遅めのディナータイムになった。今日ののミーティングの最後に岩渕Dのサプライズ・バースデーケーキが登場して皆に祝ってもらったのだが、その延長でアフターは岩渕テッちゃんバースデー&新婚の幸せオーラが出まくっていた。そんな楽しく素敵な夜は・・・・・飲み過ぎるのだ。そしてこの朝を迎えている。昨晩の最後は記憶にあるような、無いような・・・・まぁ発汗で全てはチャラとなった。祝嶺さん(波田のフロントDD)が迎えに来てくれて、大平綾ちゃんとお友達と"しむじょう"(首里末吉町)という最近出来た、熱帯植物が林立する中の琉球家屋をリノベートして作った沖縄ソバ屋で食事をした。ソーキソバもジューシー(沖縄炊き込みご飯)も中々美味しく幸せなランチタイムになった。さてその後、今日のメイン・イベントの"ホエールウオッチング"に出かけた。2月、3月には回遊してきたクジラが子育てをする為に、慶良間諸島界隈で生活するのだ。それを見学するツアーが様々な会社が出しているのだが、古山利行&あつ子さんが切り盛りするダイビングショップ(セブンテンスイメージ)でチャーターを出してくれて17人の仲間と参加することになった。意外にも沖縄人はこんなツアーには参加したことが無くてビックリ!そして13時の那覇マリーナという港での集合時間に急いでいったら、波田と同行した4人意外は誰もいなかった。・・・・そう、ここは沖縄なのだ。時間通りに来るほうが不思議って世界。結局13時20分過ぎに全員集まった。"遅れてゴメンね"も無ければ、待っていた船も"コラァー遅れんじゃないよ!"の空気も何も無い。沖縄人はドォーンとしてるのだ。そして出航!!一路、慶良間に向かったが船は多少のウネリの影響で揺れて数人は多分、一生、船なんかに乗らないと決断したに違いない。30分で慶良間諸島まで到着して、すでに船長が他の船と連絡を取り合ってクジラが出没するポイントをチエックしたらしく、到着したらイキナリ、クジラの親子が思いっきり近くに出没して参加していた全員が狂喜乱舞の錯乱状態となった!なんでこんなに大きな生き物がいるの!!なんでジャンプするの!!長〜〜〜〜い!!デカァ〜〜〜い!!かつて遠めに見たことはあったが目前10メートルは衝撃だった。その後、そんなに目前に現れることは無かったが、充分に優美な姿を見せてくれたのだ。参加者全員大満足なツアーになった。アッちゃんの説明も素晴らしく楽しい時間を過ごせた。夕方、那覇に帰港して解散。その後はナンと、大平グループの月一恒例のバトミントン大会が開催されていて、断ることも出来ずに参加した。何故、テニスでなくてバトミントン・・・・と思い参加してみたら、これが実に楽しいのだ。元々殆んどの参加メンバーがシロウトだったらしいが、みんな楽しみながら練習しているらしい。"バトミントンをナメたらアカン!!"参加者20人がジャンケンでペアを組んで試合をしたものの、波田は3試合(6ゲーム)して一勝も出来なかった。そうとうなエネルギー消費をしたなぁ。終了後のアフターが近所の居酒屋で行われたが、本当に美味しいビールだった。大平達は様々な工夫をして人と人が出会ったり、仲良くなる為の工夫をしている。その結果、大平のグループは本当に暖かいし結束力がある。そんなリーダーの大平夫妻を誇りに思う。
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●2月28日 キープインタッチ!友達は大切だよ! 《後編》
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偶然に見かけたマイク(マイクはニックネーム、浅川ミチヒコが名前)だが、携帯で確認が取れて、やはりマイク本人であった。そしてマイクの野暮用の後で、そこから程近いボクの家に寄る事になった。爆音を立ててヒーレーに乗ったマイクがやってきたのは30分後。本当に変わらない。初めて会ったのはボクが高校生で時間給バイトには興味が無く、夏休みは原宿の路上で当時、流行りまくっていたプカシェル(ハワイで大ブームだった白い天然の貝をヒモで通して首飾りにしたもの。当時の主流ディスコのメビウス、ビブロスに行ったら全員している位に流行った。なかなか入手困難。)販売を友達と路上でやっていた。(違法か合法かはわからないが・・・)そう!布をひいて、その上に陳列して売るわけ。これが相当に売れて当時は豊かな高校生夏休みだった。その頃、原宿でブイブイ言わせて遊んでいたのがマイクだった。当時は衝撃的にカッコいいフォルクスワーゲンの改造車に乗っていた。スケボーも上手でファッション(今で言うアメカジ!)も超かっこ良かった。どこで売っているのだかわからない、多分、横須賀のベースか、アメ横の輸入専門店あたりであろうか。とにかく誰も履いていないコンバースのスニーカーとかジージャンを着ていて、まるでスティーブマックイーンだった。(まだナイキなんて世の中に存在していない時代!コンバースなんて見たことも無かった。)そんなマイクはその後、創刊期のポパイの海外特派員をしたりクルマの貿易をしたり、世界中を庭の様に遊んで廻って、探した物を日本に紹介したりもしていた。世界中のバイクレースにも出ていたし、ボクを誘って、あのイタリアのミッレミリア(世界一のクラシックカーレース)にも出場した。広尾でファラフェルというサンドイッチ屋をやったり、目黒でバンビーニというピザ屋、鎌倉の材木座で海の家をやったり、家具のコーディネーターをしたり、世界中を飛び回り、とにかくよく働き、誰より遊んでいた。・・・・・・・・・実はマイクとは計算してみたら33年の付き合いになる。その間、何年も会わない期間があったが、出会いからは、そんな年月だと計算して驚いた。しかし会っても、昔を懐かしむ話などは一切無く、遊び話で終始くれる。我が家に来ても、ガンガンに未来像を描いた話に明け暮れていた。今は世界中から買い集めたコレクションの車やバイク、雑貨、家具を整理しているそうだ。 ちなみに数年前に湘南の友人宅で見せてもらった"立体的な鯨の形をした風見鶏"を探しているのだが、マイクに聞いたら、アメリカは西海岸のハモッサビーチにある庭関係の雑貨屋かメキシコのティワナの彫金屋で見つかるであろうとの答え。ボクが最近、コスタリカに興味津々で是非行ってみたいと話すと、昨年、マイクも興味があって1ヶ月半、スミからスミまで見てきたとの事。どこどこのホテルが良いとか、リゾートがカッコいいとか、メシが美味いとか、バーが素敵だとか、女の子が抜群に可愛いとか・・・・・・"生"の情報にあふれていた。あぁ〜マイクみたいな生き方に憧れていたが、なかなか追いつけないナァ〜〜と実感した。そんな好奇心を刺激しまくられた時間は本当に楽しかった。そして時間は夕方になってしまった。今日の日中はアポは入れないでデスクワークをする予定だったがズレ込んだ。それもオッケー!3月のスケジュールを立ててリーダーと連絡をしたりアポ取ったりと効率の良い仕事をした。しかし一ヶ月は早すぎる。今月は広島、姫路、岡山、仙台、沖縄、札幌と回り沢山のグループの人々と会えた。全国で何か新しい動きを感じるナァ。皆、一度の人生を、素敵に生きたいんだよね。"オレもこれからの人生をもっとかっこ良く生きたいネェ〜"と痛感。今日会ったマイクも昨晩、久々に会えた実業家K氏(元・暴走族の大頭)もオレに本当に様々な影響を与えてくれた。ボクがバットな時は相談にも乗ってくれたし、様々な生き方をみせてくれたメンターだ。そんな素晴らしい大人に出会えた事で今があるんだなぁ〜〜とシミジミと感謝が湧いてきた素晴らしい月末となった。
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2月28日(水) 昨晩は高校生時代に本当に世話になった先輩K氏と銀座で食事をした。共通の友人Y氏も同席。K氏はハンパなくビジネスで成功していて気持ちがいい。(会社は上場も視野にある程の絶好調、麻布に豪邸! クルマはベントレー、フェラーリ、ゴロゴロ・・・そこら中に別荘、超ハンサムで体脂肪は1ケタ、関係ないけどスゴイわぁ!) Y氏も凄くて、なにせ日本一メルセデスを売るセールスマン(年間160台!!二日に一台だよ!!)で話題は豊富。タックスヘブンのバージン諸島に税金対策の会社を持っている営業マンなんて聞いたことがない!

まぁ、とにかく会話はバブリーで久々に90年代の日本に舞い戻ったような会話だった。K氏と出会ったのは、まだ高校生の頃、都会のどちらかといえば遊び人系の出会いだった。(なにか濁した表現でスミマセン。書けません・・・)ボクが大学をやっと卒業するある時、K氏は銀座にボクを呼び出して、いきなり紳士服店に連れて行き、そこで店員に一言"こいつにスーツを作ってやってくれ!"と言って"お前ももうガキじゃないんだからスーツの一着ももってろ!"と言ってスーツを作ってくれたのだ。その当時はまだK氏もサラリーマン。そんなに派手なことする経済状態ではないとおもうが、その頃から後輩思いの素晴らしい先輩だった。彼がボクに"人生の苦労は売ってでも捨てろ!"という名言を教えてくれた。当然、世間的には間逆なのだが、彼流の考えだと、人はいつか全力で乗り切らなくてはイケない問題にブチ当たるが、その時にこそ溜めておいたエネルギーを全快で使って乗り切れ!普段から使いすぎるとイザという時に発揮が出来ないという論理であった。しかし今、K氏の成功を見ると、その論理は正解だったのか。結局、ビジネスの成功は人徳から来るものなのか・・・・イタリアレストランの後は、超高級クラブでオネーちゃん遊び。何十万らしいがご馳走してもらって、それはそれは楽しく艶っぽい時間だった。(しかしオネーちゃんがハンパ無しに綺麗だった。それも数十人単位で綺麗で、いったいどうなってんだぁ!! 松本清張"黒皮の手帳"を思い出して怖くなっあがぁ・・・美人、艶々オネーちゃんに店の外に送られて帰宅という時、K氏の黒塗りの車の前に運転手さんが愛犬(超恐ろしいドーベルマン、愛犬じゃない狂犬だろ!がお出迎え。飼い主に出会って興奮して泣くドーベルマンの吠える声が銀座のビル街に響いていた。)ここは別世界だと痛感。 ということで楽しい夜だった。昔からの仲間が
"成功"というのはAМだけでなく楽しいものだ。・・・・・・・正直、オレって本当に幸せだと思った。 そんな夜が一夜明け、多少二日酔いの中、起きてダラダラしていたらチャイムが鳴った!なんとボクの英語個人レッスンのケニーキクノ氏が玄関にいるではないか! そう今日は英語のレッスンの日であった。彼はベルリッツの偉い先生なのだが、通学が向かないボクの為に週1回程度来てくれるのだ。ということでフリートーク1時間。世間話100%で英語のレッスンというより"ジジイの話し相手"的な空気。その後、お客さんというかフロントの福ちゃんが浄水器のフィルターを取りにやってきた。彼はポルシェの営業マン。当然に最新のポルシェ911に乗ってきてもらい試乗した。実は試乗というか確認だ。ポルシェは好きだし欲しい。買える!(これ大切!)ただ面倒臭いというのも本音。欲しい気持ちと面倒だぁという気持ちが頭の中で行きかっている。野毛町内、多摩川土手、そして田園調布を回り帰路につこうと思ったら対向車線を、名車オースチン・ヒーレー3000/ハンドレット4 が屋根を開けて爆音をたてて走ってきた。

素晴らしい1950年代の名車だ。しかし良く見ると、その名車に乗るのは"おぉ!!!マイクじゃないの"思わず声を出してしまった。即、携帯電話でかけてみたら、やはりマイク浅川だ。こんなイキな人はそうはいない。懐かしすぎる!!昨晩に続いて、本当に懐かしい! 《ここからは、また話が思いっきり長くなるので次回に続く・・・・》
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●1月27日(土曜日) いい人との出会いが人生の"最重要課題"!
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今日は朝からシンクビックラリーのスタッフ・打ち合わせを世田谷区野毛の波田宅で行われた。昨晩は久々の酒抜きをしているので、目覚めの気分はヨロシイ。(ならば毎晩飲むなって!!) 朝10時半からメイン・スタッフの鈴木デブゥと藤田が来てタイムスケジュールに合わせて打ち合わせをした。今回も相当に濃厚なラリーが期待できる予感!!今回は藤田がハイパワーで映像関係に力を入れていて、そのサンプル映像を見たが泣いてしまった・・・・・・ヤツはその道にも相当にスゴいセンスを持ち合わせているのだ。その後、堀正樹Wも参加して司会の打ち合わせをした。男三人の司会は正直、まだまだ慣れてはいない。だいたい司会なんて受けるんじゃなかったと毎回思うのだが、今更仕方がない。事の始めは第一回のラリー(2006年6月)で主催者の出番が少ないと、参加していた人からの陳情を聞き入れた状態で、しかし最初の挨拶なんて堅苦しいので四苦八苦して出たアイデアが前代未聞の"男三人司会案"となった。・・・・この際だからこの役割を楽しもうと思う。結局、タイムスケジュールに基づいて役割の相談をして完了。殆んどはアドリブに期待しよう。東大・渡部S考案の場内案内整理案なんて、サスガに東大理科系でなくては出てこない名案!!それぞれの担当者が全力で、ものすごい期待が出来る段取りとなった。みんなヨロシクね!・・・・・・夜は成城に"お住まい"の(成城とか田園調布はナゼか『お住まい』という表現となる!)金森ダブル・ダイヤ宅にワインパーティーに御招待を受けたので向かう。成城の町は本当にリッチな家が立ち並ぶ。ただゴージャスなだけではなく、センスもヨロしい家々だ。こんな景色を毎日、見ていたら心も豊かになるのだろうナァ〜〜などと考えつつ金森邸を訪問。それはそれはゴージャスなマンションだ。(マンションとは本来は豪邸の意味。まさにマンションが金森邸だ。ピッカピカだ!)今日は金森家は女子ばかり4人が招待されていて、それは楽しい時間となった。一人の女の子はソムリエの卵で、フランス人のクォーター。旅行代理店店長、とかキャリア組の方々が参加しているのがサスガの金森グループという感じだった。出てきたワインは、それはそれは美味しいモノばかり!!金森家は数千本のワインを貯蔵しているらしい。その中から選ばれた至福のワインはワイン好きなら、もうプルプルモノの一品ばかりだった。 〆の炭水化物を製作依頼されていたので"トマト&アサリのスパゲティー""森のキノコのクリーム・スパゲティー"をお作りした。最近マイブームの"ササミのバジルペースト和え"は上出来で売れ行き好調!! そんなスペシャルに楽しい時間はアッという間に過ぎていった。 AMを通じて系列を超えて素晴らしい方々と出会えたことに、本当に感動している。こんな仕事ってあるのかなぁ〜〜〜人生、生まれ変わっても、やっぱりAМビジネスはやると思う。人生は誰と出会うか!何と出会うか!! それが全てを決めるのだ。今日も心から感謝の一日でした・・・・・・ありがとう。
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2007年1月7日(日) 数年前から気になっている若者がいる。沼津に在住の健ちゃんだ。たぶん24歳位(本当に人の年齢を覚えられなくて・・・・たぶん、あまり人の年齢に興味がないせいかなぁ。だって物理的な年齢・・・・生まれて365日が一歳、730日目が二歳・・・なんて無意味だ。成長していない奴は30代、40代だって、いくらだっているし、逆に10代なのに本当にしっかりした奴はいくらでもいる。だから年齢という基準値はあまり興味が無い。・・・要するに記憶力が悪いのを棚上げしてるのだが・・・)健ちゃんはこの2月に結婚すると昨年の秋に連絡をもらった。昔から付き合っていた彼女のユウキちゃんである。そして結婚式の案内をいただいたのだが、4ヶ月も前なのに、すでに先約が入っていた。本当に申し訳ないと思ったが、コレばかりは仕方が無い事なので、穴埋めと言ってはナンだが、なにかお祝いにさせて欲しいと申し出ると、是非、ゆっくり食事がしたいということで、当然の快諾。健ちゃんは日曜日しか休みが無いので、いつにしようかと探っていたら三者の都合が良いのが年明けの今日となったのだ。そして何でも食べたいものを言ってちょうだいと言うと間髪いれずに返ってきた答えが"岩井食堂"であった。"えぇ!!何でも良いんだよ!!"(この意味には寿司とかイタリアン、フレンチ、そして高級店も含みますよぉ〜〜というニュアンスも含んでいたのに・・・・) 実は健ちゃんは本当に感心な子で将来は自分でカフェ+居酒屋÷2 の様な店を創りたいという野望があるのだ。以前、そんな話をしている時に、それは四谷の岩井食堂に他ならないとイメージして、こんな店なのよ・・・・というプレゼンをしたのだ。そこで四谷の有名店"岩井食堂"の話になってそれ以来、是非、いつか、そこを訪れてみたいと懇願していたようだ。岩井食堂は"食堂"とは名ばかりで、店主の岩井聖氏の謙虚な姿勢が現れる店名だ。本来ならばリストランテ岩井とかビストロ・デ・イワーイなんて名前が相応しいのだが、あえて食堂という"冠"をつけた。そこはカウンターのみの12席程度、メニューがあるような無いような、ワインリストがあるような、ないような。僕に言わすと"料理5割、店主岩井のトーク5割"という比率のお笑い系ちゃんとガッツり食べられる良心的洋風居酒屋ニース風とでも表現しようか。(実は"ケージローの勝手でしょ"に掲載しようと何度もトライしているが、なかなか紹介文が書けないのですよ・・・今回は並行して書きました。ついにご紹介!)とにかく店主と客がコミュニケーションがバッチリ取れている店だ。健ちゃんはそんな飲んだ席でのボクの岩井食堂のプレゼンで興味津々となっていたらしい。そして自分で調べて益々興味倍増していた。ということで四谷三丁目交差点で待ち合わせて7時の入店。だいたいこの店は業界人が多いせいか遅い時間が盛り上がる。7時、8時なんて早いのだがユウキちゃんが妊婦との事で疲れてはいけないという配慮から、この早い時間になったのだ。まずはベルギービールで乾杯して白ワインにシフトした。さて健ちゃんだが彼は目指すお店を開業するために、カフェでコックの経験を積み、今は上質な居酒屋で修行中の身。やはり見ているところが違うみたいだなぁ。オープンキッチンの中で働く岩井氏の仕事ぶりに注目している。早い時間は岩井氏(ボクはAM繋がりなので個人的知り合い。)は注文に応じた料理を作っていたが、だんだんと時間が経ち、飲酒量が多くなるに連れて(オレじゃなくて飲んでいるのは岩井・・・!)話が炸裂してきた。

ある時はフライパンを振り回し、ある時はオタマで拍子を取りながら馬鹿話に興じた。しかし良くしゃべる男で楽しい。笑いながら食うメシは味も美味しくする。彼は料理本も出していて(過去、トンネルズのイシバシレシピに出演していてDVDにも出演。料理本は業界初のパラパラ動画まで着いて笑うよ!)そんな岩井を見ながら健ちゃん&ユウキちゃんは完全な『くちポカ状態』であった。でも時々、真面目な健ちゃんはノートに何かをメモっていたから、開店準備をする店のアイデアか、岩井のワザを盗んだのか、はたまたギャグ100連発をメモしたのかなぁ・・・・・とにかく客と店側の一体感は新宿二丁目の怪しいお店以上の雰囲気でした。あぁ楽しい夜だったぁ・・・・・・二人の門出を祝えて本当に幸せでした。お店の開店の日には一番に駆けつけよう!
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